※本記事にはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト・楽天アフィリエイト・Yahoo!ショッピング)を含みます。
リベシティの会員向け記事「学長マガジン」で紹介されていた「80億分の1」をやってみた。世界のどこかに赤ちゃんとして生まれ、その人生を最後まで体験するゲームだ。
俺が生まれたのはインド。女の子として育ち、92歳まで生きた。プレイ時間は約2時間だった。
進学もお金も夫婦関係も、なかなか大変な人生だった。それでも「やりきった人生だったな」と思う。ただ、92歳でその人生が終わったときは、なんだか悲しかった。十分に生きたと思えるのに、スッキリとは終われなかった。
🎮 今あるものを数えるきっかけに
その記事では、足りないものばかり探すとキリがないから、今あるものに目を向けるきっかけとして、このゲームが紹介されていた。
「80億分の1」は、スマホからも無料で遊べる。生まれる国や家庭、性別が決まり、年齢とともに出来事が流れてくる。進学や仕事、結婚などの選択をしながら、一人の人生を進めていく。
ただ、俺は最初、ゲームのやり方をよくわかっていなかった。20歳くらいまでは「今年の重点」で、何に力を入れるかを選べていなかった。人生の序盤から、ちょっと出遅れた感じだ。
🇮🇳 高校へ行きたくてもお金が足りない
今回の主人公は、ラージャスターン州の農村に生まれたRani Dasという女の子。家庭はあまり裕福ではなく、カーストによる差別も経験した。子どものころから水くみをしたり、学校でつらい目に遭ったりと、厳しい出来事が続いた。
15歳では高校への進学を選んだのに、学費や制服、教科書のお金が足りず、通えなかった。行きたいと選ぶだけでは、どうにもならないことがある。
一方、初期設定では体を動かすことが得意だった。まずはその強みを使って働くことにした。16歳で建設の仕事に就き、17歳から電気工事士の見習いに。若いうちは体を使って稼ぎながら、知識をつけていった。
20歳では高卒認定を取ることができた。現役で高校へは行けなかったけれど、働き始めてから学び直す道は残っていた。
📚 余剰資金が少ないから自己投資と健康を優先
お金が貯まったら金融投資をしたかったが、なかなか余剰資金が生まれない。株式も少し持っていたものの、投資に回せた金額はかなり少なかった。
そこで、金融投資を増やすのはあきらめて、自己投資と健康への投資を多めにした。今の収入を増やすために勉強し、働き続けられるように体のことも考える。
28歳で、働きながら大学に入り、30代前半で卒業。その後は夜間の大学院にも通い、39歳で修士号を取った。途中で農場の管理職を経験し、40歳には会計・金融の専門職に就くことができた。
さらに49歳で税理・会計事務所を開業。ずっと順調だったわけではなく、事業を広げようとして失敗した年もあった。それでも仕事を続け、国内の所得順位では上位に入るようになった。
同じ仕事をしていても、女性は男性より収入が少ないという出来事もあった。それでも後半には、夫の3倍くらい稼いでいた。最初に体を使って働き、知識を蓄えて、後半に高所得の仕事へ進めたのはよかったと思う。
🏠 家族の暮らしと自分の選択肢
23歳で結婚し、その後は3人の子どもに恵まれた。子育てでは両親に助けてもらい、子どもの進学や結婚にもお金を使った。
幸福度を上げたくてマイホームも買ったが、金銭的にはかなりきつかった。35歳で買った家は38歳で売り、賃貸へ。その後、52歳でもう一度購入したものの、69歳で売却して、また賃貸に戻った。
夫から暴力を受ける出来事もあった。家を出たり、助けを求めたり、離婚を申し立てたりしたが、両家の反対で戻ることもあり、一度の選択ですっきり解決するような話ではなかった。
収入や子どもたちのことも考えながら、どう対処するかを選んでいた。
自己投資をして収入を増やしていたおかげで、後半には、どの選択をしてもやっていけると思えた。自分で稼げることは、こういうときにも大事なんだなと感じた。
💰 働けるうちに子どもや孫へ渡しておく
60歳のとき、年金を受け取れず、老後は子どもの援助が必要になるという案内がゲームに出たと記憶している。インドでは子どもが親の世話をするのが一般的だ、という説明もあったと思う。
日本の年金のような収入は当てにできないんだろうな。それを見て、まだ引退する気にはなれなかった。あと10年くらいは働いて、子どもや孫に早めにお金を渡しながら、自分の貯金もある程度残しておくことにした。
老後はお金を使う量も少なくなるだろうと見込んでいた。本当に足りなくなったら、子どもに頼ればいい。そう考えて、元気なうちに子どもや孫へお金を渡していた。
69歳で事務所を閉じ、70歳では仕事探しにも区切りをつけて引退した。その後は、蓄えと子どもたちからの援助で暮らすことになった。
自分が両親に助けてもらい、子どもを育て、その子どもたちに支えてもらう。今回の人生では、家族の中でそうやって助け合いながら暮らしていた。
🌿 やりきった人生でも最期は悲しかった
夫婦関係では大変なこともあったが、後半には夫と二人で旅行する時間も持てた。69歳で夫を亡くしたあとも長く生き、きょうだいや古い友人たちも全員見送ることになった。
80歳を超えたくらいからは、趣味や友人、家族との交流がメインだった。料理や読書、ダンスを楽しみ、子どもや孫たちと過ごす。70代には近所の子どもに勉強を教え、晩年には本を貸したり読み聞かせたりもしていた。
80代には仕事もやりきり、家族と海外旅行にも行けて、ひ孫の顔も見られた。やりたいことは、もう全部やれたと思っていた。
最後は92歳で、糖尿病の合併症で亡くなった。子ども3人、孫6人、ひ孫9人。子どもたちとは最後まで親しい関係で、最期を見送ってもらえた。
最後に残った財産は、日本の物価で21万円ほど。3人の子どもに7万円ずつ残した。家族と過ごす時間もあり、満足できる人生だったのではないかと思う。
それだけやりきったと思っていたのに、いざ亡くなってしまうと、なんだか悲しかった。やることは全部やれたはずなのに、気持ちはスッキリしなかった。
大変なことはあったが、自分ではその都度、最適だと思う選択をしてこられた。幼いうちに自分の人生を選ぶ間もなく亡くなってしまうことと比べれば、十分にいろいろなことができたと思う。理不尽さへの引っかかりは、そこまで大きくなかった。
途中では、そのときに大事だと思うものを書き残す場面もあった。30歳では「健康、子供がいること」、50歳では「両親と子供達」、70歳では「家族との旅行」と答えていた。
書き残した言葉を見返すと、健康や家族、一緒に過ごした時間を大事にしていたんだなと思う。
📝 まとめ
約2時間で、インドの女性として92年を生きた。あまり恵まれた生まれではなく、高校にも現役では行けなかった。それでも、体を使って働き、学び直して、後半は収入を増やすことができた。
今回いちばん感じたのは、やっぱり健康が大事だということ。元気に産んでくれただけでなんとかなった、と思える人生だった。
やりきった人生だったと思う。それでも、最期を迎えると悲しかった。改めて感じたのは、『DIE WITH ZERO』でいう、やっぱり思い出作りなんだろうなということ。家族と海外旅行に行けて、孫やひ孫の顔も見られた。振り返ると、そういう時間が残っていた。
一代で世界を変えてしまうような人は限られているし、人一人でできることには限界もある。俺はやっぱり、家族と出かけたり、一緒に過ごしたりして、思い出を作っていくことが大事なんだろうなと思った。


